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七一  聖霊降臨



 晩餐の間の内部は全部祭日の前夜に緑の木をもって飾られ、その枝には花の入っている瓶が取り付けられていた。(注、祭日 - ペンテコステ、五旬祭、過越祭から五十日目{七週間目}。過越祭、幕屋祭とともに三大祭の一つ)緑のモールは広間の一方から他方へと張りめぐらされ、個室と玄関との境にあったついたては取り去られた。ただ外の庭の門だけが閉ざされていた。ペトロは至聖所の前の巻物をのせてある机のそばに立っていた。かれに向き合って玄関の間からの入口に、マリアはお顔にヴェールをかけてお立ちになり、その後の玄関の間には他の婦人たちが立っていた。使徒たちは二列になって広間の壁に沿うて立った。側室には弟子たちがいたが、かれらも祈りと合唱に加わっていた。ペトロはかれが祝したパンを配った。まずペトロはその一つを主のおん母にお与えし、次いで他の者に与えた。一同はかれの手に接吻したが、マリアもまたそうされた。聖婦人を除いて晩餐の間と玄関の間に百二十人が集まっていた。

 真夜中過ぎ頃全自然界に不思議な動きが起こったが、それはここに居合わせたすべての者に伝わって行った。静けさは家の上に広がり、その付近全体には音一つない静寂が支配した。

 朝方私は白銀に輝く雲が天から降り、この家に近づいて来るのを見た。それは始めの間は遠くの方に光の球のように見え、その動きとともに心地よい暖かいそよ風が吹いてきた。それが近づいた時には大きくなり、輝く霧の塊のように街の上にたなびいた。最後にそれはますます強く輝き、一層凝集し、晩餐の家の上に静かに停まっている間に、募り行く風の息吹とともに、低くたれこめた雷雲のように降りて来た。この風の息吹が募り行く時、大勢のユダヤ人たちが恐怖にとらわれつつ、神殿に急ぐのを見た。私自身はもし落雷があったら、どこに身をかくそうかと子供らしい恐れに襲われた。

 その全般は速やかに迫り来る雷雲に似ていたが、しかし暗さはなく却って明るく、雷鳴は立てずに嵐のように近づいて来た。この運動を人々はあたかも気分を引き立てる暖かい風のように感じたのである。

 私はこの家とその周囲がますます明るくなり、使徒や弟子や婦人たちの熱心は刻々と募り行くのを見た。

 するとこの光景から突然白い光線が降り、その家の上に七度十時を描き、次いで細い光線と滴に別れた。光線が七度交叉した場所には、広げた翼、あるいは翼に似た光を持った姿が現れた。その瞬間、この家とその周囲は隅々までも光をもって充たされた。五本の枝をもったランプは最早少しも輝かなかった。

 そこに集まっていた者は恍惚として無意識のうちに渇くようにその顔を起こした。すると各自の口に光線は燃える焔の舌のように注ぎ込んだ。それはあたかもかれらがその光を吸い込み、渇くがごとく飲み込んだようであり、またその熱情はその焔に対して燃え上がるようであった。弟子たちや玄関の間にいた婦人たちにもこの聖火が降った。そして輝く雲は次第に光の雨のように分散して行った。焔はしかし各自の上にそれぞれ異なった形と色で降った。

 この聖霊降臨の後、この人々の集いの上に喜ばし気な大胆が支配した。一同は感動し、喜びと確信に酔っているようであった。

 かれらは聖母の周りに集まったが、私は聖母ただお一人がまったく落ちつき、ますます冷静にしておられるのを見た。使徒たちはお互いに抱擁し、「われわれはどうしたのだろう?そして今われわれに一体何事が起こったのだろう?」と叫んだ。聖婦人たちもまた抱擁し合った。側室の弟子たちも使徒と同じように感動した。一同の裡には新しい生命が喜びと確信と大胆とに充ち満ちて波打った。かれらの喜びは今や感謝の表明へと変わって行った。かれらは集まり感謝し、主に対する賛美歌を大いなる感動をもって歌った。この間に光は消え去った。

 さてペトロは弟子たちに話しをしてかれらの多くの者を、祭に来ている者でかれらに味方する人々の泊まっている旅舎に遣った。

 自然界にも感動が起こった。善人は内面的な照らしを受けた。しかし悪人は恐れ、臆病となり、一層頑迷になってしまった。

 晩餐の家からベトサイダの池にかけて、他国から祭のためにきている人々が滞在する小屋が沢山あった。大勢の者はその郷里が非常に離れているので、往復の旅行が割りに合わぬため、ここにすでに過越し祭以来滞在していた。かれらは過越し祭以来多くのことを経験してきたが、そのために弟子たちと大変親しくなっていたので、弟子たちはかれらに聖霊降臨を狂喜して知らせた。かれらはベトサイダの池に行くように弟子たちからすすめられた。

 この間にペトロは晩餐の家で五人の使徒に按手した。かれらは池で教え、かつ洗礼を授けなければならぬのである。それは小ヤコブ、バルトロメオ、マチア、トマ、およびユダ・タデオであった。かれらは水の聖別と洗礼に赴く前に、なお跪いて聖母の祝福を受けた。また私はそれ以後の日には、使徒が出発したり帰って来た時には、いつもマリアの祝福を受けるのを見た。

 聖母はその際、あるいはその権威をもって使徒の間においでになる時は、いつも大きな白いマントと黄味がかったヴェールおよびお頭から両側へ床まで垂れる空色の布を着ておられた。その布は刺繍で飾られ、白い絹の冠で止められていた。

 ベトサイダの池の洗礼はイエズスご自身が今日のために指示されていた。使徒と弟子たちは二人ずつ並んで荘厳な行列をして、晩餐の家から池に向かった。弟子たちは聖別された水の入っている革袋と、聖別に使う木の枝の束とを運んだ。ペトロが按手した五人の使徒は、池の五つの入口に分かれて、大いなる熱心をもって民衆に語った。ペトロはしかし第三番目のテラスに設けられた教座の方に行った。聴衆は池の周囲の空所という空所に全部充ち溢れていた。さて、使徒たちが民衆の前で語り始めるや、民衆は自分たちの国の言葉で使徒たちが語っているのを聞いたので、一同は大いなる驚きにとらわれてしまった。この民衆が驚いている時、ペトロはその声を張り上げて使徒行録に述べられているように語った。

 さて、大勢の者が洗礼を申し出たので、ペトロはヨハネおよび小ヤコブとともにうやうやしく水を聖別した。使徒の頭は晩餐の家から革袋に入れて持ってきた水を撒水用の枝で広く池の中に撒いた。この準備と授洗はその日一杯つづいた。民衆は群れをなしてペトロの教座に近づいた。他の使徒たちは入口で説教し、洗礼を授けた。聖母や他の婦人たちは受洗者に白い洗礼着を分配していた。

 ここで洗礼を受けた人々は、すでにヨハネの洗礼を受けた人々であった。この日には三千人ほどの人々が教会に加わった。夕方使徒と弟子たちは晩餐の家に戻り、食事をしたが、その時祝別されたパンも配られた。次いで夕の祈りを唱えた。

 次の日もまた説教と授洗が行われた。使徒と弟子たちは出発の前に再び聖母の祝福を受けた。

 池は以前は使われずにあり、こわれていた。またその付近一帯も荒れ果てていた。ただ貧しい人々だけが時々ここにきて大事にしていた。イエズスがここで足の悪い男を癒されてから、池が再び注意を惹くようになったが、ファリサイ人たちからはますます嫌われるようになった。 - 

 外周りの塀は所々倒れ、テラスもまた方々こわれていた。しかし今やすべてが再び整えられるようになった。教会の所有となった古い会堂は、庭の一側が家並みで区切られていた晩餐の家よりはずっと淋しく、かつそのまわりが広々としていた。

 ペンテコステの祝日の後、私は使徒や弟子たちが教会の内部組織のことでいろいろと働いているのを見た。しかし同時にまた教育や授洗も行われた。そしていつも非常に大勢の信者が集まっていたが、私はかれらが地上にうつ伏して熱心に祈っているのを見た。しかし全教会がいかに活動していたかはとても言い表すことはできない。織り物や編み物がされ、あらゆる種類の仕事が教会や貧者のために行われていた。

 主のご昇天以来、私は使徒や弟子たちが晩餐の間に毎日合誦祈祷に集まるのを見た。使徒は至聖所の前で、部屋の両側に立ち、弟子たちは開かれた側室にいた。かれらは代わる代わる合誦して祈りかつ歌った。私はニコデモ、アリマテアのヨゼフ、オベドたちもそこにいるのを見た。聖母は平素玄関の間の入口に立たれ、お顔を至聖所に向けておられた。イエズスご自身が合誦祈祷をこう定められたのである。

 私は師がかれらに一度、暁方の合誦祈祷の際に出現されたのを見た。かれらはこうして毎日二度集まった。一度は夕方から夜までと、次はまた夜明け前の早朝とである。

 私は使徒と弟子たちが御聖体を捧持して、新しい教会へ行列したのを見た。その前に、ペトロは二十人の弟子に囲まれ、晩餐の家の庭の門の舌で民衆に公然と火のごとき熱をもって語った。そこへまた大勢のユダヤ人が、反論を唱えて邪魔をしようと走り集まって来たが、しかし何事もすることができなかった。その後に行列はベトサイダの池の新しい教会に向かった。ペトロは御聖体の入ったカリスを捧持した。そのカリスは白い布で、袋でおおわれたように包まれ、ペトロの首にかけられた。聖母は他の婦人や弟子たちとともに使徒の後から行かれた。かれらは御聖体を祭壇上の新しい御聖櫃の中に安置した。




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